バス運転手の「価値観」とは・・

娘が足を骨折したときのことです。 

 病院が遠かったのでバスで通院することにしましたが、1つ心配事がありました。

 足を骨折しているので、車椅子でバスを利用することになるのですが、ノンステップバスでないときどうしようかと不安がありましたが、全てノンステップバスに切り替わっていることを知り、安心して利用していました。 

 しかし、乗り降りの際、運転手さんにステップを準備していただくのは気が引けるし、数分の時間を要してしまうため、急いでいる乗客の方には迷惑だろうなと毎回思いながらの利用です。

 (バス会社が提供しているサービスを利用しているだけなので、申し訳なく思う必要はないのかもしれませんが・・・)

 それでも、乗客の方に何か言われることもなく、どの運転手さんも快く対応してくださり、とても助かっていました。


 しかし、帰宅ラッシュに差しかかった時のことです。

 診察に時間がかかってしまい、5時半過ぎに病院を出ました。 時刻表を見ると5時50分。

 バスが混んでないといいな、と思っているとバスが到着。

 混み具合を確認すると、座席に空きはないものの、立っている乗客はパラパラ。

 胸をなでおろしていると扉が開き、運転手さんに「乗ります。」と伝えます。

 すると運転手さんが「チッ」と舌打ちをしたような表情にみえます。(マスクをしているので、本当に舌打ちをしたのかは分かりません。)

 そしてすぐさま、左手の親指で座席の方を指さし、ぶっきらぼうに「混んでる。」と一言。

 とても嫌な気分になり、タクシーで帰ろうと思い、運転手さんに伝えようとしましたが、すでに座席の方へ歩き出し、車いすを乗せるスペースを確保していました。

 運転手さんは無表情でステップを準備し、「すみません。」と謝りながらバスへ乗り込みます。

 そして、運転手さんがステップを片付けている間に、私はしゃがみながら車椅子のタイヤ止めを設置していました。 (通常、タイヤ止めも運転手さんが設置してくださるのですが、少しでも運転手さんの負担をなくすのと、作業時間短縮のため自ら設置しました。)

 運転手さんがステップを片付け、運転席に戻る時、私はタイヤ止めの設置を終え、立ち上がろうとしていたその瞬間、耳元でボソっと声が聞こえました。


 「松葉杖の人に立ってもらったんで。」


 運転手さんの視線が松葉杖の乗客に向けられています。

 私はハッと思い、松葉杖の方に「申し訳ありません。」と謝りました。 

空いている席を探しましたが空いていません。

 申し訳ない思いをひきずりながら、車椅子に戻り、流れゆく景色をボーっと眺めていました。

 

すると、フツフツと怒りの感情が込みあげてきます。

 どうして私がこんなに嫌な気持ちにならなくてはいけないか?

 なんで私が責められなくてはいけないのか? 

そもそも私はそれほどまでに人に迷惑を掛けることをしたのか?


 いやいや、 混雑時は車椅子の利用不可とはどこにも書いていないし、 バスが提供しているサービスを利用しているだけなのだから私は悪くない。

 うん、どう考えても私は悪くない!


 さあ、どうしよう? 

 このまま運転手に文句を言いにいくか? 

バス会社にクレームをいれるか?


 運転手に文句を言いにいくのはいいけど、運転していて危ないし、バスの運行を阻害するのはよくない。 

やっぱり、バス会社にクレームをいれるか? 

 と、怒りをぶつける矛先を考えていました。


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 人が人に対して「怒り」を感じる場合、単純にいえば、それは「価値観の違い」といえます。

 人は自分が「~すべき」と思っていることを破る人に腹が立つのです。 

 (参考:安藤俊介 『「怒り」を生かす 実践アンガーマネジメント』,朝日新聞出版,2020年1月,55ページ)

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 ん?まてよ。。。 

 この運転手の「すべき」ってなんだろう??? 

 

自分が運転手になったと仮定して考えてみます。

 私が運転手だったら、

 『ラッシュ時こそ、時刻表通りに運行すべき』

 『混雑時に車椅子で乗るべきではない』

 『他の乗客に迷惑をかけるべきではない』

 という「すべき」が思い浮かびます。


 もしかしたら、この運転手さんはとても真面目で、疲れて帰ってきているお客さんを待たせるのが嫌なのかもしれない。 

もっと言えば、時刻表通りに運行出来なくなることが嫌なのかもしれない。

 猪突猛進タイプなのかな? 

そこに、車椅子という手がかかる乗客が乗ってきて、怒りをあらわにしてしまったのかな?

 「すべき」を裏切ってしまい、申し訳ないことをしてしまったな。。。

 なんてことを妄想していたら怒りが静まってきました。


 もちろん、本当のところは分かりません。 

たんに、面倒なだけだったのかもしれません。 

 それでも、相手の「すべき」を考えることで反射せず、落ち着きを取り戻すことが出来のでした。


 しばらくバスに揺られていると、降車するバス停が近づいてきました。

 「お手数をお掛けしてすみません。」と運転手さんに言いながらバスを降りると、運転中にご自身がとった行動を反省されたのでしょうか。 

「お気をつけて。」と一言。


 夜風に漂う草の香りに清々しさを感じながら家路に着くのでした。 


 別の見方をすれば、同じような思いをされる利用者を防ぐという意味で、そのバス会社にはクレームをいれたほうが良いのかもしれません。 

実は、その後もそうすることを考えていたのですが、忙しい日常に飲み込まれ、行動を起こすことはありませんでした。 

怒りが静まった時点で私の中では『その程度のこと』になっていたんですね。


 もし今後、嫌な思いをした時には、そのバス会社のクオリティ向上のため、あくまでも事実ベースかつ、感情的にならずにクレーム(報告)をしてみようと思います。

 アンガーマネジメント研修の提案書を添えてね(笑)

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